読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

池澤夏樹の文学全集で俳句を学ぶ!後編

f:id:lite-dynamo:20161028223312p:plain

池澤全集で俳句を読むシリーズの最後の記事になります。図らずして三本立てになってしまいました。

 

前編では俳句と俳諧の本質的な違いについて、中編ではそれを踏まえて、江戸を代表する俳諧師芭蕉と蕪村と一茶を読んできました。

 

 

本書後半に収録されているとくとく歌仙は、現代における俳諧の試みのレポートであります。

 

戦後の大文学者丸谷才一と当代を代表する詩人大岡信による「歌仙早わかり」と、実作例としての歌仙、「加賀暖簾の巻」が収められています。

 

他でもないこのセクションが収められていることによって、本書は同全集シリーズにおいても特別な一冊になっていると思うのですが、これは後ほどお話しします。

 

「歌仙早わかり」

丸谷・大岡による「歌仙早わかり」は、談話の書き起こしによるためとても読みやすいのですが、それにもかかわらず必要知識が余すことなく、しかも簡潔に説明されていて入門書にはこれしかないと思わされます。

 

連歌とは、五七五と七七を一人ずつ変わりばんこに付けていく、大原則としてはそれだけなのですが、細かいお約束が思う以上に多い。

 

例えば季節の取り扱い、春と秋の句は三句続けなくてはならないとか、月と花の定座といい、月を読まなければいけない番と花を読まなければいけない番が規定されていたり、恋の句は三句続けてはならないなどといったルールが遵守される。

 

どうも無駄なルール、発展しすぎて硬直したゲーム性と思われかねないこれらの規則ですが、これこそが連歌を豊かにしていると丸谷・大岡は語ります。

 

私に言わせると、連歌とは会話であるという大前提があるため、いかに会話を楽しむかの仕掛け作りにこれらのルールは寄与しているように思われます。

 

例えば普段の会話でも、恋の話ばかりが続いてしまうとすると、想像力が痩せるというか、予定調和的なやり取りが続き、辟易することになりますね。

 

そんな時、「自分の話ばかりしない」とか「新しい話題を提供する」とかいったルールや不文律があれば、我々はむしろ自分を省み、相手を慮るようになります。

 

滅多に会えない友人と、話したいことはたくさんあるのに限られたことがらしか話し合えない、それが連歌です。

 

想像力で文脈をつぎつぎ脱臼し、その場限りの粋な会話を楽しむこと、それが俳諧 = 連歌の楽しみですね。

 

連歌読みの入門書

短詩というのは、読むのが非常に難しいものであります。まして複数人による短詩が36句連なったもの( = 歌仙)となると、正確に読むという営みはほとんど絶望的に思われるのではないでしょうか。

 

こちらも丸谷才一による箴言ですが、詩はアンソロジーで読み、注釈書で読むべきだと強くオススメします。

 

よく図書館や書店に行くと、中原中也全集とか高浜虚子全句集とかいった本が置いてありますが、あれは罠です

 

詩は全集で読んではいけない

入門者ほど、全集にお得感を覚えてしまう心境は察しますが、全集というのはプロフェッショナル向けです。素人の手には負えないものです。

 

高いお金を出して分厚い全集本を買って、習作時代の作品が延々と続くのに我慢できずに積ん読といった体験は私も持っています(笑)。

 

その点、アンソロジーや注釈書というのは、その道のプロが選んだベストオブベストですので、まず最初に読むべき作品や、その読み方を網羅してくれています

 

何にしても初心者は、ベテランの意見に従うべきということですね。もちろん、その先に何を見つけるかは私たち次第ですが。

 

自註による俳諧鑑賞

そういったわけで、歌仙「加賀暖簾の巻」は作者たちが作品を自ら解説するというスタイルをとっており、勉強には最適です。

 

歌仙の基本マナー、イメージの解釈の仕方、そしてイメージの連ね方を全て種明かししてくれます。しかも超一流の文学者たちが、です!

 

風情や滑稽み、瞬間の情景のいちいちについてしっかり学びましょう。

 

実はこの、歌仙を実作者たちが自註していくというスタイルは、以下の新書にもっとたくさんの実例が載っています。

 

歌仙の愉しみ (岩波新書)

歌仙の愉しみ (岩波新書)

 

 

というか、私が連歌俳諧に興味を持ったのはまさしくこの本のおかげなのですが...(笑)。

 

まとめ

3回にわたって池澤夏樹全集の俳諧選を鑑賞してきたわけですが、こちらの本は、同全集シリーズのどの巻をおいても、第一に読まれるべき一冊だと思います。

 

なぜなら、別巻の古典新訳シリーズとは異なり、こちらは現代における最新の評論という性質を持っていることがあります。

 

町田康による宇治拾遺物語の現代語訳が話題になりましたね。私も楽しく読ませてもらったのですが、あれらはつまるところ、現代の読者への紹介にとどまっているのではないかと思います。

 

他方こちらの俳諧集は、評論集であるという一点において、シリーズ内でも異彩を放っています。我々はこの本を、よりよく読むために読むのであって、消費的に読むのではありません。

 

第二に、「とくとく歌仙」の収録によって、江戸時代の俳諧が直接現代につながっているという点があります。つまりここには、伝統の継承があるのです。

 

古典を新訳することも結構ですし、新作小説を書くことも結構ですが、結局のところ我々が本を読むのは徒労に過ぎないのではないかという恐れを持つことはありませんか? 私にはあります。

 

文学の立脚点はどこにあるのだろう? ビジネスか? 個人主義か? などと思いを馳せるとき、私は伝統にすがりたくなる。

 

過去を持たない文学は浅薄であるとまで言ってしまうと、ジョイスばりのモダニストになってしまいそうですがね(笑)。

 

いずれにせよ、こちらの本は、芭蕉らの俳諧を学ぼうと思う人にとってうってつけの一冊です。徒手空拳で発句を読み始めるよりなら、よほどこちらをお勧めいたします。